大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和36年(ワ)999号 判決

主文

被告は原告に対し金三百五十万円及びこれに対する昭和三四年一〇月二〇日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決第一項は原告が二十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因を次の如く述べた。

一、訴外神奈川県更生保護会連盟会長代理桑島一英は、被告に対し三百五十万円の土地原形複旧保証金返還請求の債権を有していたが、これを昭和三四年五月二七日附をもつて訴外森春二に譲渡した。右通知は同年八月一七日附文書をもつて桑島が被告に対してなし、同日被告は右文書に「横浜市役所・受附昭和三四・八・一七・財・第六三七号」と表示した受附印を押し、その下部にP・M二・二〇と時刻を記載した。

二、かくして債権者となつた訴外森は、右債権を原告に対し昭和三四年八月一七日附をもつて譲渡した。この通知は同日附文書をもつて訴外森が被告に対してなし、同日被告は右文書に「横浜市役所・受附・昭和三四・八・一七・財・第六三九号」と表示した受附印を押し(乙第三号証)、その下部にP・M四・二五と時刻を記載した。

右受附印の押捺によつて、右文書は民法施行法第五条五号により確定日附のあるものとなつたのであるから、訴外森の原告に対する右債権譲渡については民法第四六七条二項の要件を具備するものである。

よつて原告は被告に対し右三百五十万円およびこれに対する履行日を徒過した後である昭和三四年一〇月二〇日から右支払いずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

原告は被告主張一の事実を否認し、二の事実に対して「本件債権に対し被告主張の差押転付命令のあつたことは認める。昭和三四年一一月二四日原告、訴外森、訴外高田が被告方に集まつて会談した内容は、当時原告と訴外松原から容赦ない請求を受けて困却した被告が三百五十万円を両者に分割支払うことによつて局面を拾収せんとしたまでであつて、原告に対する被告の支払義務の否定を前提としたものではない。原告としては被告の立場に同情して、原告が即時八十万円を貰えるなら減額をがまんしよう、しかしその支払については飽くまでも被告が責任をもつことを前提としたものであつて、なにを好んで今更被告主張の如く訴外森を通じて八十万円の支払をうけるような迂遠な方法を採ろうか」と述べた。

証拠(省略)

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として請求原因一の事実は認める、二の事実中原告主張の通知文書に主張の如き受附印が押捺されたことは認めるが、それが確定日附としての効力を有することを争い、原告が訴外森から三百五十万円の債権譲渡をうけた事実は知らない、昭和三四年一〇月二〇日以前に三百五十万円の履行期が到来していた事実は争わないと述べ、次のとおり主張した。

大審院民事聯合部判決(大正二年(オ)第六七七号同三年一二月二二日言渡)は、民法第四六七条第二項は通知行為または承諾行為につき確定日附ある証書を必要としたものであつて通知または承諾のあつたことを確定日附ある証書をもつて証明すべきことを規定したものではない、と判示しているところ、原告主張の債権譲渡通知は、確定日附ある証書をもつてなされたものではない。すなわち原告主張の受附印は単に被告自身の印章であつて所謂「私署証書に或る事項を記入し之に日附を記載したもの」ではなく、また右受附印が確定日附ある証書となるか否かは別としても、右判決の示すとおり譲渡の通知書そのものが確定日附でなくてはならないのであり、譲渡のあつたことを確定日附の証書で証明すべきことではないし、元来債権譲渡の通知は、その通知書が被通知人に到達する以前に於てその通知書上確定日附が現存しなければならないから、原告の主張自体失当である。

仮に債権譲渡があり、その通知が適法であるとしても

一、訴外森は昭和三四年頃他に相当の債務があり、その債権者から本件債権を差押えられる恐れがあつたので原告と通謀して債権譲渡の形式を履んだまでのもので無効である。

二、原告は被告に対し、以下述べる経緯のもとに本件債権を放棄したか、もしくはこれを訴外松原に譲渡したから、本訴請求は失当である。すなわち本件債権に対し債権者松原毅、債務者森春二、第三債務者被告間の東京地方裁判所昭和三四年(ル)第一六〇七号同年(ヲ)第二〇四二号債権差押及転付命令正本を被告は同年八月一八日受領した。その翌日午前九時頃原告と訴外森及び山岸弁護士が被告庁舎にきて被告に対し市役所の受附印は確定日附であるから訴外松原の差押転付命令は無効であると申入れ、同日午前一〇時三〇分頃訴外松原の代理人高田潤一と関屋弁護士が来庁し被告に対し、右と正反対の申入れをなすと共に訴外森、原告らと話し合いをして円満解決をはかる意思のある旨の表明があつた。その後若干のいきさつもあつたが、昭和三四年一一月二四日原告、訴外森、訴外松原の代理人高田らが被告方に来庁し、被告を交えて「被告は本件債権を差押転付債権者訴外松原に支払う。訴外松原はその内二百七十万円を自己の受領分とし、八十万円を訴外森を通じて原告に支払う。」という合意が成立し、これに基き被告は同年一二月一日二百七十万円と八十万円の二口の小切手にしてこれを訴外松原に支払つた(もつとも訴外松原は前記約定に反し八十万円を訴外森に交付せずしたがつてこれが原告に交付されていないが、しかしそれは被告の関知したことではない。)。

証拠(省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例